2014年7月5日土曜日

水村美苗と鉄斎 ー 選ばれた文字と言語

水村美苗の「私小説-from left to right-」を読んでいます。

"I'm reading this super-interesting Japanese writer...do you know Minae Mizumura?" と言われる前まで、僕はミズムラミナエという作家のことを知りませんでした。


アルゼンチン人で大航海時代のスペイン副国王の血を引くイネスは、むろんスペイン語でミズムラの"Una novela real"を読んでいて、彼女の唇からスペイン語訛りの英語で語られる和製嵐が丘の物語は、この上なく魅力的に聞こえたのに、僕が"Una novela real"を「本格小説」として読むのは、それから6年も経った今年のこと。しかし1度読み始めると、これが止まらない。寝る間も惜しくて、2週間ほど睡眠不足で読破したのですが、その前作に当たる「私小説」も同じくらい面白い。今度は読み終えるのが惜しくて、1日20〜30ページ限定で読んでいます。


水村美苗は、日本で生まれた日本語で書く作家という点で、他の日本語を母語とする多くの作家とは変わらないのですが、彼女は中学校からアメリカに渡り、イェールの大学院の博士課程を経て、アメリカの幾つかの大学で教鞭を取ってから、日本に戻って作家になったという異色派。彼女は、たぶん英語で小説を書くこともできたかもしれないし、仏文で博士課程まで取ったフランス語で作家活動に入ることだってできたのかもしれない。しかし、彼女はあえて日本語で書くことを選択した。その日本語という言語に対する思い入れが、彼女の言葉を強靭にしている。それは、ユダヤ系アメリカ人であるリービ英雄の書く、「越境した」日本語の透徹さにも通ずるものを感じます。表現の方法として、他の言語で言えたかもしれない可能性を振り切って、日本語で書いた必然性が、文体にあらわれてきている。

そんな事を考えながら、昨日、出光美術館でやっている富岡鉄斎展を見ていて、似たような意志を感じました。彼は国学者として、漢詩を自分のものとしていたといわれています。自分の書画については、描かれた絵を見ずに、まず詩を読め、と言っていたぐらい。僕は日本の高校に行っていないおかげで(というのは逃げ口上ですが)、彼の書いた漢詩を理解できず、ひたすら彼の絵と書がつくる空間にひたすら見入って圧倒されていました。彼の作品ほど、漢字の視覚デザインとしての凄味を感じたことはありません。展覧会では、彼が若い時分に書いたひらがなの和歌も何点かあり、非常に流麗で美しいのですが、彼の漢字と絵が一体になった時の壮大な力はない。

水村美苗やリービ英雄が、書き言葉としての日本語を選択したように、鉄斎も、漢字と漢詩を選び取ったに違いありません。しかもそれは、想像するに、中国人がごく当たり前に漢詩を書にしていくのとは、必然的に違って来るはずです。


ピカソが描いた線の強さにも通ずる(鉄斎もピカソも、牛好きです)、鉄斎の線が持つ躍動するエネルギーは、彼の画から漢字を立ち昇らせ、甲骨文字の古代に連なる漢字の呪術的な力を想い起こさせてくれたのでした。

鉄斎、おそるべし。




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